一応、ビジネス論考。また、静岡出身者として、
今回の「富士山、世界文化遺産に登録される」というニュースと絡めて常々思っていたことを書いておこうと思う。

まず最初の概念からして勘違いするなと。
いや、勘違いするのは仕方がないけど、時々立ち止まって根本的な立場、立ち位置を思い直してみてほしい。

富士山を世界文化遺産としてユネスコの選考委員の人たちになんとか認めてもらう・・・
じゃなくてさ、
そんなものは認めてくれなくて結構だと。
というかそもそも、・・これはこの事だけじゃなく何事に対しても常々思っていることなんだけど、誰かに「認めてもらう」っていう価値観が僕は嫌いだ。
その選考機関や選考委員ってそんなに偉いのか?と。

コンテスト、オーディション、審査のある登録、その他賞レース物のイベント、
確かにその道の権威で重要な指標になるのかもしれないが、
その選考委員よりも出場者の方がよっぽど優れているなんて場合も多々あると思うんだよね。

つまり、多くの人は何故、問答無用に「偉い!」とされているモノに対して「偉い!」と思って下手に出てしまうのか? きっとそれは多くの人が、以前から僕が提唱している「サラリーマン脳」という状態にあるからなんじゃなかろうか。冗談じゃない。 
今回の富士山の登録に関しても、何でスイスのユネスコとかいう白人毛唐連中にへりくだって「認めてもら」わなきゃならないんだろう?

我々日本人が富士山を心の文化遺産だと思っていればそれでよろしい。
で、ユネスコとかの連中が「富士山を世界文化遺産に認めさせてください!!オナシャス!」
って言ってきたら、「構わんよ」って言ってやるくらいの立場になるわけにはいかんのだろうか?
ユネスコとか言う奴はそんなに偉いのか!? 
認めていただいたら日本人の全員が嬉ションとかネコゲロとかしちゃうレベルに偉いのか!?
オリムピックの選考委員会とかに対しても言えることだけどね。
企業への就職活動やその面接などにも言える。
就職の面接っていうのは、企業が採用する若者を査定しているだけでなく、
若者もその会社に対して、自分が今後長きにわたり働くにふさわしい良い会社かどうかを査定する場だと思っている。そういう意味では、面接官も上から目線で臨むのではなく、善人を演じwもっと緊張して臨むべきだ。


で、文化遺産になって良いこともあるけど悪いこともあるらしいじゃん。
基本的には入山者を抑制する努力を今後は取らなければならなくなるだろうしね。
(今現在が多すぎるっていうのもある。)


これらは物事の考え方の基本として、僕の中にはいつもある問題だ。
僕はいつもあまり「属性」が良くないらしく、上述のコンテスト、オーディション、審査のある登録など、大抵の場合、理不尽に落ちる。選考されない。
僕が運癌という病を慢性的に患っているからって言うのもあるだろうが。
そういう憤りもあって、何か成りたいものがある時にまずその基軸機関というか選考する側にまわるよう、また、そういう立場の人間になるべく物事を進めていく。

例えばもし僕が役者になりたいと願うなら、
まず僕が目指すべきは映画監督である。
で、映画監督として好きなだけ自分を自分の映画の主役として使えばいいジャマイカ。

これは実際にそう考えてやっていた人がいる。他の誰でもない、シルベスタ・スタローンその人である。
スタローンは自分が主役を演じることを前提にロッキーの脚本を自分で書き、ある意味作為的に成功した。
一度その脚本の版権がかなりの高値でハリウッドで買い取ってくれるという話しが出たが、主役をロバート・レッドフォードで撮るという話しになったため大金を蹴って売却を拒否。その後実際に自分が主役を演じて大成功したという経緯がある。
たしかランボーについてもそうだった気がする。
スタローンはそういう苦労人で知略家なので、そういう点においては非常に尊敬している。

ま、とにかく、僕は人に認めてもらうという立場になるのが生来嫌いだ。
俺が認めてやる側だバカヤロウ。勘違いするな!と。

一応、志だけはね…。


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