ヴィトゲンシュタイン
リアルな世界で、動物的なセックスアピールがイマイチ欠けている様な人は、
尚更その論調の語気を強めていく。
何故ならその論調が唯一その人の特徴であり、
そこに自分唯一の美徳を見出しているから・・・。
その様な人がもし、人から
「あなたのその論調が好き!!」
なんて言われたらどれほど舞い上がって、聞いてもいないウンチクを語り始める事だろう?
つまりそういう人にとって、これほどうれしい言葉は無い!ってわけだ。
「論調」というものはそれ程までに「自認インテリ男性」のポリシーであり
アイデンティティーとなっている様に思う。
特にどうと言う事の無い一般人が、こうして自由にその論調を発表できる現在、
そういう人たちは尚更そこに自分のアイデンティティーを見出そうとする。
しかし、その大概は主観的過ぎていて、第三者から見れば
「ただ暑苦しいだけ」と言う惨めな結果である事が多い。
・・・・。 そう。僕自身にも当てはまるのかもしれない。
けれども、稀に、本当にかっこいい論調をもっている人が居る。
そういう人は勿論それなりの職業に就いている人なのだが、(作家やライター)
・・・やっぱりカッコイイ。これらの人の「文体」、「論調」。
かっこいい論調と言うのはその論点の鋭さ、意外性は勿論、
何処かオシャレで、かつ、知性を感じさせ、
それでいて(注1)自意識を最小限に抑え、そして何故か読み易い!と言う事。 だと思う。
気取らず、暖かい、と言うのも大切。
そんな論調は自認インテリ男性ならやはり真似てみたくなるものだ。
僕の論調はしかし、そういう人と比べると、
・・。何処か餓鬼っぽい所がある様に思う。
それは別に良いんだけどね。
ワザとそうしてる部分もあるから・・・。
それにしても、そういった思考に陥りがちな人ほど、何故か芸術に対する造詣が深いのは不思議だ。
本来、芸術と言う物は右脳によって、筆舌の及ぶ所ではない感覚、感情を表現する物であるのなら、それを鑑賞する側もそういった作品に魅了されればされるほど大いに右脳を刺激され、理屈など、どうでもよくなるはずだと思うのにだ・・・。
まぁ、文学と言う芸術もあるわけだが・・・。
どの作家の作品でもよいのだけれど、例えばバスキアとかピカソ、あるいはアクションペインティングの様な現代アート作品を見ると、これはもう、本当に
「ロジックなんかクソ喰らえ!」
っと思うようになるのだけれど・・。
逆に言ったら作品にロジックを感じ取れるような作品は「まだまだ2流、3流」なのかも知れず・・。
とにかく、何が言いたかったのかというと、
結局「理屈なんてどうでもいいよ」っということ。 か?