ウィキペディアによれば、
「運」とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指し、実力と運の乗数が、成功だという。
とある。
であれば、もし、人には誰しも「生まれつき変えられない宿命」と言う物があり、
その宿命が「運がまったくない、不運、不遇」というものであった場合、
その人の人生はどんなに実力があり、かつ、努力をしたとしても、
いわゆる「成功」には手が届かないと言う事になる。
もし運というものを数値化出来るとして、
その運の数値が0だったとしたら?
実力×運(0)=0
そんな絶望的な事を考えていた事が僕にはある。
また、確かに、
この世の中の物事は全て「べき乗」で進んでいるのだとも思う。
べき乗は不思議である
例えば、売り上げの平均が100万円の、あるお店で、
地方の新聞に100万円かけて広告を出したとする。
その結果、売り上げが10倍の1000万円出たとする。
それじゃぁってことで今度は全国紙に1000万円かけて広告をうった場合、
実際に見込まれる売り上げはその10倍の1億円かと言えば、
そうではないと言う事。
その時はもう、10億とか100億とかそういう世界になってくるわけだよね。
しかし0にいくらカケても0は0なんだ。
例えば知能指数のようなものも実は”べき乗”で増えている物なのだそうで、
知能指数が100の人と知能指数が105の人の5ポイントの差と、
知能指数が130の人と知能指数が135の人の5ポイントの差は同じではないらしい。
後者の方が相対的にずうっと大きな差になるのだそうだ。
でも0にいくら欠けても0は0だよね。
俺、疲れ気味か・・?