ていうか最近よく思うんだけど、
成功したバンドの影の薄いメンバーって、
なんでその知名度というかネームバリュー、立場を利用して
自分の意見とか作品とかを発表しないんだろうね。
例えばミスチルの桜井以外のメンバーとかバクチクの桜井以外のメンバーとか、
スピッツの正宗以外のメンバーとかさ。

ブログやツイッターで「原発断固反対!」とか言ったりさ、
或いはただの日常とかでもいいんだけど、
何かやれば素人と比べて最低限の人は集まるだろうし、
人が集まればそこにお金も発生するだろう。
業界との繋がりみたいなものもあるわけだからいろんな話も来るだろうし。
何でなんにも発信しないのだろうか。
日々、何も思うこと無いのかな?

勿論、もう今以上にリソースを必要としておらず、十分満足しているから・・・、
という理由だろうし、それなら少しは理解できるけど、
それならそれでそういう話が来た時に断れば良いわけで。
 
まったく何かを発信しない人の気持ちが未だにイマイチわからんとです。

それはその人のミームに対する熱の薄さとも言えるのかもしれない。


こういうことを考える時、いつも僕は「おじろく、おばさ」の話を思い出す。

田舎の狂気というか、なんていうか・・・。最も狡猾な洗脳とでも言おうか・・・。
八つ墓村とかそういう横溝正史的怖さがあって、
個人的にこのテの話はこの世で一番恐ろしく、かつ、理解できず、かつ、嫌な話だと思うけど、
その反面、程度の大小あれどこういう感覚は多かれ少なかれ多くの人が持っているようにには見え、そして僕には殆ど無い感覚だと思う。僕はそういう田舎土人達から距離をおき、だれよりも自身の考えで自身の自由を求めて生きてきたような所があるから尚更だ。
おじろくおばさ、或いは世の中の多くの人は、ある程度の歳になると考える事を放棄しているというか、逆に言ったらは考えすぎるというか・・・。
ただ、考える事を放棄する事が出来るのなら、それが一番楽だろうなぁとも思う。
が、には到底出来ない。

そりゃそうと最近は「田舎土人」という言葉が非常に気に入っている。
今まで、僕がずっと言い表したかった人物像をたった一言で表現していてこれは便利な言葉だと思った。
ちなみに、この「田舎土人」という言葉の反対語、対義語が、「文明人」という言葉であるらしい。
「文明人」は最低でもスマートフォンでツイッターとかやってるような、都会の人というイメージか。

こういう人達の事を、僕は今まで「地方の原住民」とか「土着の民」と定義していて、
その対義語として「国際人」とか「コスモポリタン」と定義していた。
そして自分は文明人であり国際人でありコスモポリタンであろうと…。

「DQN」という言葉にしてもそうだけど、たった一言でその漠然とした対象を言い表せる言葉は非常に便利だし、便利だからこそあっという間に広まる。そしてそうやって広まって人々の共通認識となれば、更にその言葉は利便性が増し、定着する。
優れたミームであるとも言えよう。

 
まあ、いずれにせよ・・・、何事においても、
ちったぁ考えろよ!!

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