この記事の続き・・かも・・。
其れは個性の違いではなく、
優劣の差・・である部分もあるのだろう。
同じ高さに立ったうえで合わないと言うのなら、
其れは確かに個性や好みの違いである。
けれども、そもそも同じ高さに立っていないのに、
”アレ”は自分とは合わない、とか、
”ソレ”は○○○だからそうなのだ、と理解する事は本当ではないと思う。
個性や好みの違いの前に、まず優劣、高低、レベルの差と言う物があるのだと思う。
個性や好みの違いについて論じる前に、
本当はまず高低について認識しなければならないのだと思う。
同じ高さに立っている視点から、「合わない」と言うのなら、
そこではじめてソレは個性の問題なのだといえる。
同じ、若しくは、少なくとも同じ様な高さに立った上で、
個性や好みについて語らなければそれは極めて自己完結的な愚かな行為だと思う。
とはいえ、
低い所からはその高低が分からないけれど、
高い所からは結構、その高低と言う物がわかるもんだ・・。
と思う。
ー追記ー
例えば、AさんがBさんの事を、
”彼”はオタクだから・・。
と言ったとしよう。
しかし、それを言ったAさんが、
簡単なHPやブログすらも立ち上げられない人であった場合、
その人にとってはBさんの「HPを立ち上げると言う能力」、
若しくは、それに付随する様々な知識や文化レベルを持つ人は皆「オタク」に見えるだろう。
けれども、この「オタク」と言われた当人Bさんは、
実はBさんの周り、或いは都会的な一般的な感覚で言えば、
それをただ当たり前に身に付けているに過ぎない。
つまりBさんの住む世界では、Bさんは決して「オタク」ではないのだ。
Aさんはそれを個性や趣味の違いととらえるが、
Bさんはそれを優劣の差だと考えている。
さらにそれ自体が、そう考える事自体が「個性」の差なのでは?
と考える人も居るだろうが、
いや、やっぱりそこは高低の差だと思う。
と言う考えもあるのではなかろうか・・ね。
もう全然意味わかんねぇ〜だろう!?(笑)
俺もわからん。
向上心の差でもあるけれど、少なくともそれは個性の違いが向上心の有る無しに関わっているのではないと思う。





