バカにされてカッとなってやった。
殺すつもりは無かった・・。
と、ゲイツ会長
小学校の頃から、家にはファミコンが有り、
「ゲーム」と言うのはずっと自身にとっての文化の根幹であり続けてきたのだ。
望むと望まざるとに関わらず、
まあ、基本的にそういうものが好きだったからと言う理由もあろうが、
とにかく永の年月、ゲームと言うものに魅了されたり刺激を受けたり、
時には癒されてきたりした部分もあるのだと思う。
我ながらね。
本当に心に響いて、事あるごとに想い出す様な、
そしてそれはあたかも「甘美な記憶」にまで昇華されたゲームタイトルも何本かある。
以前にも少し書いた様に、
「TV」と言う物に対しても言える事なのだが、
昔はどうしてあんなにゲームをプレイする時間が有ったのかと、
今では首を傾げるほど、最近はゲームをしなくなってしまった。
ここにゲームに関する一冊の本がある。
木村央志著「ゲームクリエイター作法」
かなり昔に購入した本なのだが、
この本では「ゲームユーザー」のゲームに対する距離感を、
4つの大きなセグメントで表している。
まずは以下の二つ。
1、ライトユーザー
2、ヘビーユーザー
ライトユーザーは言うに及ばず、
ユーザーの中ではゲーム文化と一番遠い距離感を持ったいわゆる一般層といっても良い存在。
面白そうならやるし、話題になっていればやることもあると言った人達。
この層にはいわゆる普通の女性などが多く含まれる。
その対極にあるのがヘビーユーザー。
どんなゲームかと言う事には関係なくとにかく多くの時間とお金を費やし、
ゲームが全てのような人達。
ゲームのハードを何台か持っているような、いわゆるゲーム好きな人の事。
その二つのタイプの人たちとは別に、
もう一つの極を成すのが、
3、コアユーザー
4、マージナルユーザー
コアユーザーは、普段からゲームに首ったけと言うわけではないが、
過去の思い出にコアとなるゲームタイトルがあり、
その時味わった爽快感、達成感、喜び、インスピレーションなどをもう一度味わいたいが為に、
タイトルをかなり厳選して時々遊ぶタイプの人。
マージナルユーザーの定義付けは難しいが、
上記のドレにも当てはまらないようなマニアックな視点でかなりのゲームタイトルをまるで知識の為にと言う様な意味合いで沢山のマニアックなゲームを遊ぶと言うような人たちの事・・かな・・。
僕は1と3の中間のような存在なのではないかとずっと思っていたが、
最近は完全に1か、若しくはゲームをやらない人、
と言うくらいのところまできている。
とにかくゲームにかまけて、
またのんびりとした、それでいて胸躍るような時間を過ごしたいなぁ
と思ってはいるが、実際には、そんな時間はまったく無いし、
有ったとしてもゲーム以外の事にどうしても目が行ってしまう。
あのころ、
どうしてそんなにゲームなんぞに没頭していられたのか、
今では本当に分からなくなってしまった。
それでも、やれば「面白い」と思うのだろうから、
最近も戯れにタイトルを幾つか買ってはみたのだが、
どれも買っただけでやってない。






