ミーム(meme)

自己複製、増殖する文化的遺伝子


人類の文化進化の文脈において用いられる概念で、
文化を人の脳から脳へと伝達される自己複製子(情報)であると見なしたときに、伝達される情報の最小単位のこと。
動物行動学者、進化生物学者リチャード・ドーキンスが自然選択の働きを説明するために、遺伝子以外にも存在しうる理論上の自己複製子の例として提案した。

ドーキンスの視点によれば、自然選択に基づく進化が起きるためには、複製され、伝達(あるいは遺伝)される情報が必要である。またその情報はまれに変異を起こさなければならない。これは生物学的進化では遺伝子である。
この複製、伝達、変異という三つの条件を満たしていれば
遺伝子以外の何かであっても同様に「進化」するはずである。

災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語などの文化情報の伝承伝播の仕組みを、論者の定義に基づいてすべてミームという仮想の主体を用いて説明することがある。

インターネット上で流行る隠語や特殊な用語(2ちゃんねる用語など)も、これはミームの一つであると言えよう。
インターネットミームについてのまとめ記事は後日UPしようと思う。


以下、ネットで見つけたミームに対する説明。
うまい事書いてあったので、作者が誰なのか分からないけれど、
以下にリンク先と一部を抜粋しておこうと思う。
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http://www.mfi.or.jp/komo/meme.htm

 

クローンについては、ヒトラーのクローンの話が例えとしてよくでてきます。ただヒトラーの細胞からクローンを造っても、育つ環境によって必ずしも同じ性格の人物にならないというのが一般的な見方のようです。
またオオカミに育てられた少女の話からもわかるように、人間は人間の遺伝子を持っているだけではいわゆる人間にはなれません。
幼児期にまわりの人間から教わる文化、言葉、人間としてのしぐさ、善悪の概念、価値観、風習、礼儀、学問などもろもろが備わって初めて人間として一人前と言えます。
これらは遺伝子レベルで親から子に伝わるのではなく、脳から脳へとコピーされて伝わっていきます。このようなものをリチャードドーキンスはミームと呼んでいます。

人間はミームを受け継がないと遺伝子だけでは人間になれません。
人間は脳を発達させたせいで、親から遺伝子をもらうだけでは、人間としては不十分なわけです。つまり人間は遺伝子の枠だけでは説明できない、遺伝子からはみだした存在になりつつあるのではないかと思います。

遺伝子により形作られる肉体がハードウエアとすれば、
ミームはそこに載せられるソフトウエアと言うこともできます。
ミームは文化遺伝子と呼ばれることもあります。

人間は社会的に成功して自分の会社を持ちたいとか、自分の銅像を立てたい、とか自分自身の思想や考え、価値観を世の中に広めたいという欲望があります。これはいわば自分の分身つまりコピーを世の中に残したいという欲望です。自分自身のミームを世の中に広めたいという欲望ととらえることができます。人間は自分の子供を作って遺伝子を残したいという欲望と同時に、自分の分身としてのミームを世の中に残したいという両方の欲望を持っているといえます。

英語の辞書を調べるとmemento(思い出の種、記念品、かたみ)という言葉が見つかります。
推測ですがミームという言葉はこのmementoに関係あると思います。

お酒を飲むと、やたら説教したがるおじさんは自分の価値観(ミーム)を他の人の脳に植え付けたい欲望を持っているのかもしれません。
インターネットのホームページに自分の意見や情報を載せる行為は自分のミームを他の人の脳にばらまきたいという欲望の現れかもしれません。

自分の価値観を世の中に広めたいと思ったとしても、その価値観は本当は自分が創り出したオリジナルなものというよりは、生きてきた過程で周りから教わってきたことがベースになっていると思われます。誰か他の人の脳で考えられた価値観のコピーを自分の価値観として採用している場合があります。世の中のいわゆる普通の人が「政治家が悪い」などという時の意見は、実際は新聞やテレビで評論家が言ったことをそのまま自分の意見と思い込んでいるケースが多いと思われます。
自分の思想や価値観といっても、その多くは他の人の価値観のコピーの寄せ集めです。さらに周りの人や、子孫に伝えていくことで、他の人の脳にコピーされ、他の人の価値観として採用されていくと言えます。その過程で少しずつ変化したり進歩したりします。
つまりミームは、世代から世代へと受け継がれ、進化もします。

「神が実在する」とか「死んでも魂が残る」といった概念は昔の人から人へと何代にも渡って受け継がれてきた、ミームと言えます。
ミームは人間の脳から脳へとコピーされて増えていくという性質から、コンピュータ上で増殖するコンピュータウイルスに似ています。もし自分自身のコピーを作って増えるウイルスが生命体と言えるのであれば、コンピュータウイルスやミームも同様に一種の生命体です。「神は少なくともミームという形をとって生きて実存している」と言ってもあながち間違いではないでしょう。

またある人が死んだとしても、その人の価値観、思想や教え(つまりミーム)を周囲の人が引き継いでいれば、その人のミームはまだ生きていると言えます。魂をミームと考えればその人の魂はまだ生きているといっても、あながち間違いではないでしょう。「あの人は死んでしまった。しかしあの人の魂は、生き残った我々の心の中に生きているのだよ。」というようなセリフを映画やドラマで聞いたことのある方はいらっしゃるでしょう?「その人の精神や魂は少なくともミームという形では残る」ということになります。

人の脳から脳へとコピーされていくミームのなかでも、宗教の教えは強力なミームやミームの集合体ということができると思います。また強力なミームは、人々を洗脳して、何かの一連の行動を起こさせることができるでしょう。ウイルスと同様にミームは、時には非常に危険な振る舞いをすることがありえると思われます。
あるミームと別のミームが、戦いを起こすこともあると思われます。我々はしばしば議論してどちらの意見が正しいかを争うことがあります。どちらが強いミームを持っているかという戦いと言えます。戦いに勝利したミームはより多くの人に「より正しい価値観、概念」として広まっていくことになります。人間は過去の歴史において、異なる信仰の人間同士が対立して殺し会うという経験をしてきています。これは実はミーム同士の戦いだったと捕らえることもできます。
Aというミームは対立するBというミームを滅ぼすために、「脳にBミームを持っている人々」をすべて殺すようAミーム人間に命令したかもしれません。

ある宗教では自殺が禁止されています。このように自殺を禁止するミームをもつ宗教は人々に広まる可能性が少し高いでしょう。なぜならミームは人の脳に住んでいるため、その人が死んでしまうとミームを伝える媒体が減ってしまうことになります。自殺を禁止するミームを持つ宗教はミーム自身を伝える媒体が減る可能性が低くなり、広まりやすいかもしれません。逆の例として集団自殺をするような教義(ミーム)をもつような宗教はあまり広まらないでしょう。なぜなら熱心な信者は充分な布教活動をしないうちに死んでしまうからです。

実際には自分の信条や価値観を人に広めようとしても、なかなか広まるとは限りません。価値観を強引に押付けられるのは誰でもいやだからです。逆に自分が失敗した話などは、自分の意志とは逆にに、あっと言う間に広まってしまうかもしれません。「悪事千里を走る」の例えのとおりです。
一般的にある人の失敗談は、他の人の脳に優越感という快感を与えるため、他の人の脳に広まりやすいかもしれません。
何かしら人間の脳にとって魅力的で、他の人に伝えたくなるような性質を持っているものは広まりやすいミームと言えます。

不幸の手紙、幸福の手紙、災害やパニック時に広がるデマなどもミームと言えます。
心の不安に付け込んで増えていくミームもあると思われます。
人間が非常に不安になっている時に、その不安を和らげてくれるような情報があると信じたくなってしまうでしょう。
さみしい心のすきまをうめてくれるようなミームに出会うと思わず信じてしまいたくなるかもしれません。


ミームにはいろんな種類のものがあり、一概にいいものとか悪いものとか決められないように感じます。

ミームという概念も、
一種の“ミーム“ということができます。