芸術感について書いておかないと・・と思う。
それも最近の、僕の芸術に対する想いについてだ。
ずっと、
なにかしらの芸術活動にて生活していく、
つまり、「芸術で飯を食っていく!」というふうに考えて活動してきたわけだが、
ある時期からそういう熱意はまったくと言っていいほど無くなってしまった・・と言うこと。
自分だけは中二病ではない、と言う実感とかがあって、実際に今振り返ってみても、運が無かっただけで実力やアイデアが無かったのとは違うと思う。
とにかく、若い頃はそれ(芸術)が全てで、主にバンド活動をしてきたわけだが、
僕の場合はただ単に「ロックバンド」をやっていたのではなく、
あくまでもコンテンポラリーアートの表現としてそれを捉えて活動してきた。
(例えば、コンスタンティン・ブランクーシ作、「空間の鳥」と言う彫刻作品をモチーフにして、
その彫刻作品に音楽を付けるというテーマで作った曲がこれ。)
http://amaterasu7.seesaa.net/article/140768727.html
「空間の鳥」
コンスタンティン・ブランクーシ
勿論、こんな難解な曲、テーマばかりやってきたわけではなく、もっと商業的なものも作ったが、とにかく、やはり色々な運が無いと、その活動の99%は「バンドのメンバー集め」であり続け、結局やりたいことの100分の1も出来なかったように思う。
ここまで来ると行動力が無いから・・とか、そういうレヴェルの話ではない。
やっぱり運も無かったのだ。
むしろ考え方によれば、行動力や勇気はあったほうだと思う。
今から考えると実にバカバカしい事で、非常に非効率的な活動なのだが、
デモテープをレコード会社に送ったりと、そんな事ぐらいしかできなかった。
(けれどもそれも、日本のメジャーから外国のマイナーインディーズレーベルまで、幅広く送り、
まあ、そのおかげで、かなりマニアックなイギリスのインディーズレーベルまで知識として網羅することとなり、最近は英語の先生と「front242」と言うバンドについて語ったり、
(日本でそのバンド名知ってるの俺とその先生だけだと思うが・・・)
デペッシュモードのレーベル「mute record」やらビョークがデビューしたレーベル「One Little Indian」なんかにも、住所を調べて英語でデモテープを送ってみたりもした。
基本的にはテクノレーベルのライジングサンやらサブライムレコードなんかに送ったんだけど・・・。)
27歳までに成功しなかったら俺は死ぬ!!
と・・、本気で思っていた時期もありました。
(中二病以外の何者でもないように思うが・・。)
けれども、それこそ27歳くらいの時、
「こんなにそれについて打ち込んでいる俺が成功しない音楽、芸術界って逆にナンなんだよ!!」
と思うようになり、「すっぱい葡萄」じゃないが、
その頃からなんとなく芸術というもの全般に対して、魅力を感じられなくなってしまった。
昔は芸術というものがこの世で最も尊いものの様に思っていたが、
もっとこの世の中の事をずっと深く追求して考えていくと、
全然そんなことないってことに気が付いていてしまったのだと思う。
芸術なんかよりももっともっとずっと大切な事がある。
それも複数あるだろう。
例えばそれは「運」だ。
そもそも「運」があれば芸術家として食べて行く事も出来るだろう。
そういうようなことに気が付きだして、
僕は今でも「芸術」に関して、魅せられる事もたまにはあるが、
なんだかしらけてしまった感もあるのが現状です。
今でも普通の一般の人と比べれば死ぬほどマニアックな音楽とか聴いているのだろうけれど、昔のような探究心やら向上心、熱はそこには無い。
(ただ、その反面、
「音楽」と言えばエグザイルしか知らないようなバカが最近多すぎる気がする。そういう人間には辟易とする。)
ただ今でも相変わらず、美しいものは好きで・・、
何か景色とかでも良いのだけれど、美しいものと一体になりたいと言うような感覚はずっとあり続けると思う。
それが僕にとっての本当の、プリミティブな感覚なのだと思う。
それが今思う芸術論。
昔はそれ(芸術)が僕の中心にあったものなのに、
今では完全におざなりになって忘れ去っているような毎日を送っているので、
最近、音楽やら芸術やら、そういった話になると、なんだかすごく妙で不思議な気持ちになる。
なので、自分の中で整理するためにも、この記事を書いておく。
一体・・、どうしちまったんだ・・、俺は・・?
夢でも見てんのか?
(AKIRAのテツオのセリフ)
と、いう気持ちになる。
俺って・・・、芸術家・・・だったよなぁ・・・・!?
という。