前にもこの事について書いたような気がするけど書いてないかもしれないので備忘録として改めてこの記事を投稿しておこうと思った。ああ、例のあのブログのtumblrの方に抜粋したんだな・・・。
とにかく、
韓非子の教えについて分かりやすく説明されているサイトの記事を紹介しておく。
いわゆる帝王学とか君主論とかマキャベリとかその辺の話しをする時に必ず対のように出てくる韓非子の教えの大雑把な括りはこうだというもの。
僕の記憶が正しければ前に元ライブドアの相談役でアルファブロガーの小飼弾氏がTVに出演した際にこの韓非子の教えがどうこうと言っていたような気がする。
要するに韓非子は、アメとムチを握る者が絶対にえらいし、
権力を握ろうとする者はその二つだけは絶対に獲得すべきで、他人に任せたりしてはいけないということ。
かつてロスチャイルドが言った
「お金を発行する権利だけくれ、そうすればあとはどんな政治をやってくれても構わない」
といった言葉にも似ている様な気がした。
ー追記ー
リンク切れの時のためにここにも抜粋しておこうと思う。
韓非子は紀元前3世紀に書かれた。
『韓非子』の著者・韓非は、悪までも悪人でもない、むしろ悲劇の人でした。
韓の国は隣の秦という国におされ、亡国の手前でした。
韓非は、潰れかかった韓の国の息子であった。
韓の国を救うために日々、必死に学問をしていたのである。
韓非は、荀子と言う先生に習い、「何とか国が助かる方法が無いものか」と書いたのが『韓非子』でした。
幼い頃から、重度の吃音(どもり)で、口で喋るのはたいへん苦手でしたが、努力して名文家になった。
韓非子は、「人間の本性は悪である」との視点に立ち、帝王たる者が天下を統一するための秘訣を書物に著しました。しかし、書き上げた時には、残念ながら秦に滅ぼされた音でした。しかし、皮肉にも、彼の才能を評価したのは、韓の敵国だった秦の若き王、秦王政(のちの始皇帝)でした。
秦王政は韓非の著作を読んで感動した。
「ああ、余はもしこの人と一緒に語り合うことができたら、死んでもいい」思って、韓非を自国に呼び寄せました。皮肉にも韓非子は、秦によって採用されたのです。
後の秦の始皇帝は韓非子が作ったといっても過言でありません。
しかし、韓非は始皇帝の家臣によって毒殺されます。
秦王政は『韓非子』を熟読し、やがて中国最初の皇帝・始皇帝となりました。
それから後も、『韓非子』は帝王学のバイブルとして読み継がれました。
諸葛孔明も、『韓非子』を筆写した程です。
それでは、悪魔の書韓非子の要点は何なのでしょうか。
明主の導りてその臣を制するところの者は、二柄のみ。 二柄とは刑徳なり。
何をか刑徳と謂う?曰く、殺戮をこれ刑と謂い、慶賞をこれ徳と謂う。
人臣たる者は、誅罰を恐れて褒賞を利とする。
故に、人主は、自らその刑・徳を用いれば、群臣はその威を恐れてその利に帰する。
訳文
優れた君主が、家臣を制御するそのよりどころは 「二柄」 (にへい) のみ。 「二柄」 とは 「刑」 と 「徳」 をさす。 なにを称して 「刑」 「徳」 というか? ここでは、誅殺 【ちゅうさつ】に処する権限を 「刑」、褒賞 (ほうしょう) をさずける権限を 「徳」 とよぶ。
人臣というものは、刑罰をおそれて褒美をほしがる。
だから、君主みずから刑徳をもちいれば、家臣たちは「恐怖」し、また 「利益」 をもとめる。
かりに君主が、「賞罰の威利」 を自身がきめずに、ある家臣の意見をきいて賞罰をおこなうとすれば、国中の人々はその臣をおそれて君主をあなどるようになり、その結果、その家臣に従い、君主から去ってしまう。ということになろう。これは君主が 「刑徳を失う」 ことによる禍 (わざわい)なり。
たとえば虎が、犬を服従しうる根拠は 「爪」と「牙」にある。
虎から「爪」と「牙」をうばいさり、犬にそれをもちいさせれば、虎は逆に、犬に服従させられる、こととなる。ここで君主は 「刑徳」 により臣を制御するもの。 君主から刑徳をうばいさり、家臣にそれをもちいさせれば、同様に、君主は逆に、家臣に制御される、こととなる。
人間は、殺すか、金を与えるか二つに一つだという、恐ろしい帝王学です。
今日までの世界の政治や経済もこのDNAが入っているのかもしれません。
文化大革命の毛沢東しかり、この韓非子が生きていたような気がするのは私だけでしょうか。
今の中国にもこの思想が根底で生きていたら、恐ろしいものを感じます。
「韓非子」を見よ! (知的生きかた文庫)
とにかく、
韓非子の教えについて分かりやすく説明されているサイトの記事を紹介しておく。
いわゆる帝王学とか君主論とかマキャベリとかその辺の話しをする時に必ず対のように出てくる韓非子の教えの大雑把な括りはこうだというもの。
僕の記憶が正しければ前に元ライブドアの相談役でアルファブロガーの小飼弾氏がTVに出演した際にこの韓非子の教えがどうこうと言っていたような気がする。
要するに韓非子は、アメとムチを握る者が絶対にえらいし、
権力を握ろうとする者はその二つだけは絶対に獲得すべきで、他人に任せたりしてはいけないということ。
かつてロスチャイルドが言った
「お金を発行する権利だけくれ、そうすればあとはどんな政治をやってくれても構わない」
といった言葉にも似ている様な気がした。
韓非子(悪魔の書) から学ぶ
ー追記ー
リンク切れの時のためにここにも抜粋しておこうと思う。
韓非子は紀元前3世紀に書かれた。
『韓非子』の著者・韓非は、悪までも悪人でもない、むしろ悲劇の人でした。
韓の国は隣の秦という国におされ、亡国の手前でした。
韓非は、潰れかかった韓の国の息子であった。
韓の国を救うために日々、必死に学問をしていたのである。
韓非は、荀子と言う先生に習い、「何とか国が助かる方法が無いものか」と書いたのが『韓非子』でした。
幼い頃から、重度の吃音(どもり)で、口で喋るのはたいへん苦手でしたが、努力して名文家になった。
韓非子は、「人間の本性は悪である」との視点に立ち、帝王たる者が天下を統一するための秘訣を書物に著しました。しかし、書き上げた時には、残念ながら秦に滅ぼされた音でした。しかし、皮肉にも、彼の才能を評価したのは、韓の敵国だった秦の若き王、秦王政(のちの始皇帝)でした。
秦王政は韓非の著作を読んで感動した。
「ああ、余はもしこの人と一緒に語り合うことができたら、死んでもいい」思って、韓非を自国に呼び寄せました。皮肉にも韓非子は、秦によって採用されたのです。
後の秦の始皇帝は韓非子が作ったといっても過言でありません。
しかし、韓非は始皇帝の家臣によって毒殺されます。
秦王政は『韓非子』を熟読し、やがて中国最初の皇帝・始皇帝となりました。
それから後も、『韓非子』は帝王学のバイブルとして読み継がれました。
諸葛孔明も、『韓非子』を筆写した程です。
それでは、悪魔の書韓非子の要点は何なのでしょうか。
明主の導りてその臣を制するところの者は、二柄のみ。 二柄とは刑徳なり。
何をか刑徳と謂う?曰く、殺戮をこれ刑と謂い、慶賞をこれ徳と謂う。
人臣たる者は、誅罰を恐れて褒賞を利とする。
故に、人主は、自らその刑・徳を用いれば、群臣はその威を恐れてその利に帰する。
訳文
優れた君主が、家臣を制御するそのよりどころは 「二柄」 (にへい) のみ。 「二柄」 とは 「刑」 と 「徳」 をさす。 なにを称して 「刑」 「徳」 というか? ここでは、誅殺 【ちゅうさつ】に処する権限を 「刑」、褒賞 (ほうしょう) をさずける権限を 「徳」 とよぶ。
人臣というものは、刑罰をおそれて褒美をほしがる。
だから、君主みずから刑徳をもちいれば、家臣たちは「恐怖」し、また 「利益」 をもとめる。
かりに君主が、「賞罰の威利」 を自身がきめずに、ある家臣の意見をきいて賞罰をおこなうとすれば、国中の人々はその臣をおそれて君主をあなどるようになり、その結果、その家臣に従い、君主から去ってしまう。ということになろう。これは君主が 「刑徳を失う」 ことによる禍 (わざわい)なり。
たとえば虎が、犬を服従しうる根拠は 「爪」と「牙」にある。
虎から「爪」と「牙」をうばいさり、犬にそれをもちいさせれば、虎は逆に、犬に服従させられる、こととなる。ここで君主は 「刑徳」 により臣を制御するもの。 君主から刑徳をうばいさり、家臣にそれをもちいさせれば、同様に、君主は逆に、家臣に制御される、こととなる。
人間は、殺すか、金を与えるか二つに一つだという、恐ろしい帝王学です。
今日までの世界の政治や経済もこのDNAが入っているのかもしれません。
文化大革命の毛沢東しかり、この韓非子が生きていたような気がするのは私だけでしょうか。
今の中国にもこの思想が根底で生きていたら、恐ろしいものを感じます。
「韓非子」を見よ! (知的生きかた文庫)