えんたんぬ哲学の道

           暮らしの中の哲学と面白ネタ集め                                    注意

哲学

韓非子の教えについて

前にもこの事について書いたような気がするけど書いてないかもしれないので備忘録として改めてこの記事を投稿しておこうと思った。ああ、例のあのブログのtumblrの方に抜粋したんだな・・・。

とにかく、
韓非子の教えについて分かりやすく説明されているサイトの記事を紹介しておく。
いわゆる帝王学とか君主論とかマキャベリとかその辺の話しをする時に必ず対のように出てくる韓非子の教えの大雑把な括りはこうだというもの。
僕の記憶が正しければ前に元ライブドアの相談役でアルファブロガーの小飼弾氏がTVに出演した際にこの韓非子の教えがどうこうと言っていたような気がする。
要するに韓非子は、アメとムチを握る者が絶対にえらいし、
権力を握ろうとする者はその二つだけは絶対に獲得すべきで、他人に任せたりしてはいけないということ。

かつてロスチャイルドが言った
「お金を発行する権利だけくれ、そうすればあとはどんな政治をやってくれても構わない」
といった言葉にも似ている様な気がした。

韓非子(悪魔の書) から学ぶ

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ウィリアム・ブレイクの詩をポエティックに映像化。

画家であり銅版画職人でもあったイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩を物憂げなCGアニメで映像化した作品を見つけたので紹介しておきます。
ウィリアム・ブレイクはPS2のゲーム「プラネットライカ」の中でよく印象深く引用されていたので思い入れがあった。

London - William Blake

London - William Blake from Sherbet on Vimeo.



非常に退廃的というか、どこか絶望的で寂しげな雰囲気を醸しだすブレイクの詩。
イギリスの中原中也といったところか・・?
以下の詩集は僕も持っていてお奨めです。
↓↓
ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚 (平凡社ライブラリー)
ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚 (平凡社ライブラリー)
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物言わぬアーティスト。それでアーティストといえるのか?

以前、このブログでも何度か取り上げてきたテーマ。

1つは「アーティストなら尚更何か物申せ!!」という命題。
もう1つは「芸術や芸能、その他そういう業界に対する批判として。」

昔から僕が勝手に尊敬している秋元きつね先生のtumblrより、以下抜粋。
↓↓↓

http://kitune.tumblr.com/post/25710005941

実際、これだけ著作権やダウンロードの法律が話題になっているのに、もっとも関係する「アーティスト」は何も声をあげない。自分の意見すらいわないのに、「アーティスト」って本当に「アーティスト」って言えるのかね??

音楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ (via mitaimon)

アーチスト言ったってレコード会社で働く社員か契約か外注さんだからなぁ (mitaimonから)



アーティストのためのハンドブック  制作につきまとう不安との付き合い方
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何処でもドアを深く深く考察してみる。ドラえもんの哲学

今回もネットで拾ってきた面白い哲学に関する話。
でもこれが本当に哲学といえるかどうかは微妙だけど・・・。
けど誰しも少しは考えた事があるんじゃなかろうかという、ドラえもんに出てくる道具に関する考察。

↓以下↓


思考実験(2)どこでもドア


以前、当方でもタイムマシーンは不可能だという記事を書いたが、
ちょっとそれに通ずる話だったかと思います。

終わりに関する考察。ついにブログの全記事を把握できなくなってきた。


2005年4月からこのブログをやってきて、おかげで最近はアクセスも非常に上がってきたが、これだけ記事が貯まって、しかも去年から毎日更新などを心がけてやってきたのでさらに記事は貯まり、ついに僕自身でもこのブログの全記事を把握するのが難しくなってきた。
いつ、どんなことを書いたか、今までは結構把握して自分の中で管理出来ていたような気がするんだけど、流石にもうわからなくなってきた。
自分の特に強く思ったことや絶対に紹介したいと思って書いてきたことならまだしも良かったが、特にネットから拾ってきた面白ネタなんかを毎日紹介したりしてからホントもう、今ではよーわからん状態だ。

このブログはあくまでも個人の日記サイトなので、
そうやって全記事が把握できなくなったということがなんだか妙に寂しい様な気もする今日この頃です。

ま、こうして長く続けていれば、いずれはこういった問題は必ず生じることなんだろうけど。
それに初期の頃に僕が考えていたことなど、今では全然そうは思わないというか、
考え方が変わっている部分もあるし、そういう意味では初期の頃の記事はちょっとした黒歴史とも言えるというくらい、既に僕自身が把握していない。
(逆に今でもまったくその通りに思うことも多々あるし、予言めいた事を言っている記事もあるんだよね・・。)


記事を書く対象もなんとなく変わった。
初めの頃は僕自身の友人知人しかこのブログの観閲者はいなかったし、
なんとなくそういう人達と自分自身に向けて書いていた部分もある。
しかし現在では、おそらくそれらの友人知人で今も見ているという人はほぼいないのではないだろうか・・・と思う。(ていうか居たら連絡下さい!)
最近はやはり「ひろぶろのまとめ記事」に関する言葉で検索から来られる人や、
何故か「羽生善治伝説」という様な言葉でこのブログに来てくれる人が多い。
それ以外では「サムアップポーズ」の記事で来られる方も多い。
なので初期の頃と比べて、書く対象がなんとなくだがもっと不特定多数に向けられるようになってきているように思う。


また、最近は「ものの終わり方」についてよく考えるようになった。
何事もそうだけど、全ての物事には必ず終わりが来る。
このブログだってそうだ。いつかは終わる。
今僕がやっている仕事についてもそうだ。

で、その時、その終わり方は、予め自分で決めていた終わり方で、自分で辞めるという事が非常に大切だと思うようになって来た。それは別にカダフィー大佐の最後に影響されたとかそういうことじゃないけど、永遠を妄想し、或いは終わりについてあまり考えておらず、最後に他動的で不本意に、辞めなければならないような状態にされたり終わらされたりすると、これが仕事などの場合は特に、その後の計画とかも立たなくなってしまうし、大抵の場合、結構悲惨なもんだ。悲壮感とか漂っちゃうよね。
なので、とにかく物事を始める時、
必ず「どうやって終わるか?」ということについても予め考えて始めるべきなのじゃないかと思う最近です。

以前、フォレスト・ウィテカーの「ゴースト・ドッグ」という、ジムジャームッシュ監督作品の映画を見たことがあったけど、あの映画の中でフォレスト・ウィテカーが心酔するサムライの生き方というのが結局そういうことであった。
これは武士道について書かれた実際の書物「葉隠」に影響された主人公が、
その中に書かれた有名な一説「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を実践していく話し。
つまり武士とは「自分の決めた時に自分が決めた死に方で死ぬのが最も美しく良い」とする美学のことで、映画「ラストサムライ」の中で渡辺謙が「パーフェクト・・・」といって死ぬあれだ。

生死に関わるような大きな問題だけでなく、日常の中の小さなことに対してもその様にあるべきなのではないだろうか・・。と、最近はそんなことを考えている。

自分で「よし、これでよし!コレデイイノダ!!」と認識し、自ら辞めようと思って辞めるのが最善だろう。
「長い間ありがとうございました!僕はこれを機に次のステージに出発します!!」
とか言って辞めるのが最善だらう。
そういう宣言が必要の無いことについても、自分の中でそういうケジメを付けて、“自ら”辞めることが重要なのではないだろうか。
それが出来ない人は、大抵の場合自然消滅という方向に逃げるのだろうけれど。


このブログは最後にどういう理由でどうやって終わろうかな・・・。


物事の終わりは新しい始まりでもある。

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四つ葉のクローバーを見つけるために・・・哲学


今日もどことなく哲学を感じるコピペを見つけたので以下に紹介。
ホントかウソかはわからないけど。


83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/25(火) 10:12:14.62 ID:TrTe7JCJ0
四葉のクローバーを見つけるために、
三つ葉のクローバーを踏みにじってはいけない。
幸せはそんな風に探すもんじゃない


183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/25(火) 11:40:35.31 ID:CyroF4LH0
>>83
好き


186 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/25(火) 11:46:03.37 ID:hWGs/8xY0
>>183
四葉のクローバーはクローバーが若葉の時に出来た傷から四葉になるから
踏みにじって探す奴がいないと四葉のクローバーは生まれてこない


188 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/25(火) 11:49:40.50 ID:ZFJmaXgi0
>>186
なんだか知ってはいけないこの世の闇に触れた気分だわ






哲学的な4コマ漫画

ちょっと古いネタだけどまとめサイトに哲学的な4コマ漫画がたくさん投稿されていたので以下に紹介しておく。


哲学的な漫画








































哲学漫画










































ネタ元:哲学的な四コマ漫画作ろうぜwwwww


1コマ漫画についてはこちら


地球って本当によく出来てる・・・コピペ

この世の中全体に対する仕組みの哲学。
誰しも一度は考えて取り止めの無い気持ちになった事があるのではないだろうか?
そんな宇宙規模の妄想というか哲学のやり取りコピペを以下に紹介しておく。


ソース元: http://2chcopipe.com/archives/51785903.html 

 864 名前:Trader@Live![] 投稿日:2011/12/15(木) 12:05:03.27 ID:NykDM0H4 
赤道を雲が覆う日がきます、すると日本に冬が来なくなります。暖かいの
で何気なく嬉しい気持ちでいるかもしれません。しかしそれは地球寒冷化
の序章に過ぎません、何故赤道を雲が覆ったのか?


895 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:12:23.71 ID:2uELZdYr 
>864
地球って本当によくできてるよね
文明の発達で温暖化の要因が加速する頃に太陽活動が衰退期に入るとか
他にも、石炭が発見されて、石油に切り替わり、石油の枯渇が心配される頃にウランが発見されて・・・
まるでよくバランスを考えられたゲームみたいだよね


902 名前:Trader@Live![] 投稿日:2011/12/15(木) 12:13:40.54 ID:Nck0Jol0 
>>895
水ってさ、ちょうど0度で氷ってちょうど100度で沸騰すんだぜww
ピッタシすぎだろwwすげーww


915 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:16:35.24 ID:baLVV0lm 
>>902
せやな


910 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:15:28.56 ID:mWvXksxP 
>>895
地球も異星人がやってるシミュレーションゲームかもしれんけどな
あ、この辺で大災害起こしてみるかあ、とか


922 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:17:20.51 ID:bLt+htIY 
>>910
小学生のころ地球は巨人の細胞の一部かもとか妄想したな


930 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:18:49.80 ID:5hua8Zp1 
>>922
地球どころかこの宇宙そのものが無数にある宇宙の一つに過ぎないかもしれないらしいぞ


937 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:20:20.46 ID:2uELZdYr 
>910
もしそうだとしたら、俺達は異星人から
「こいつ全然仕事しねーし!消すか?」とか
思われてんのかな?


938 名前:Trader@Live![sage] 投稿日:2011/12/15(木) 12:20:32.70 ID:26DlDk1Y 
宇宙規模の話は怖くなるからやめろ




ビジネス考察:ジョン・ヘンリーになるな!

以前の記事、
おじろく、おばさの記事
と、
労働時間と効率の記事
の続き。

要するに僕が言いたかったのはジョン・ヘンリーになるな!!ということ。
このの話をするならこのジョンヘンリーのエピソードははずせないと思ったのでここに記載しようと思う。
ていうか思い出したので。

John Henryとは、
アメリカ人なら誰でも知っているエピソードで、
逆に言えばアメリカ人以外にはあまり知られていないアメリカ開拓時代の労働者階級の英雄のこと。 
その反面、 ジョン・ヘンリーは技術の進歩についていけなかった人の象徴として語られ、以下の動画を見ると、時に嘲笑の対象にもなる。

 

この動画の1:40のところから語られるベニチオ・デル・トロの意見と僕は同意見だ。
ジョンヘンリーは開拓時代、鉄道の線路の枕木を敷く、優れたハンマー使いの職人だった。しかし、鉄道会社は蒸気で枕木を敷く機械を導入。
それに対し、「機械なんかに負けてたまるか!」と、
自身と仲間の職を確保する為もあり、ジョンヘンリーは機械と線路を敷く勝負をした。
勝負は二日間にわたり行なわれ、最後に釘一本の差でジョンヘンリーが勝った。
しかし次の日、ジョンヘンリーは心臓麻痺で死んだ。

ジョンヘンリーのエピソードについては諸説あるが、
とにかく僕が言いたいのは、そういう田舎者の奴隷みたいなくだらない意地をはるな!と言っているのだ。
そうなるべきじゃない!と。

例えば現在で言えば、twitterやフェイスブックをビジネスで活用しようとしない田舎者がこれに相当する。
それは例えて言うなら、例えば政治家が、
「私はマイクや拡声器が嫌いだから地声でやる!!」と言って、
地声で喉を枯らして選挙演説をしているようなものだ。
それが如何にバカバカしいこだわりであり、かつ、非生産的なことかわかるだろう。
使えばいいのだ!そんなものは普通に。

新しい技術に対して気負ったり必要以上に構えたりして、導入を遅らせている企業、組織になるな!と。
そういうバカになるな!と。
ベニチオデルトロが言わんとしている事も大体そういうところだ。

Harry Belafonte - John Henry


僕が死ぬ程好きな映画。BASQUIATバスキア
300回くらい見ました。
今から考えると信じられないくらいの超豪華キャストの映画です。

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管理人が覚えた言葉 216 「哲学の道」

哲学の道

哲学の道京都市左京区にある小道のこと。
哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。
「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされており、1972年(昭和47年)に正式な名称となった。
日本の道100選にも選ばれている散歩道である。
京都でも有数の散歩スポットとなっており、
また、哲学の道周辺にはカフェやおいしいお食事スポットもたくさんあり、桜街道としての名所でもあり、観光名所にもなっている。

の意。
世界の色々な哲学をとりあえずザッと把握するのには最適な一冊。

5億年ボタンの哲学

この動画を見ただけでいろんなことを考えてしまう・・・。

自分だったら?
30年くらいなら?
朝夕や睡眠ありなら?
経験や記憶を持ち帰ることが出来るなら?
300万円、若しくはそれ以上だったら? 
刑務所も似たようなモンじゃね?
歯を抜かなくても髪の毛や血文字でOK?

まあ、いずれにせよ5億年は絶対に押さないけどね。



なんか手塚治虫の「火の鳥」とか想像しちゃう。
こういう時間地獄や無間、無限地獄が一番きつい話だなあ・・・っと思う。

あとちょっとGANTZの哲学にも通ずる部分があったように思う。

GANTZの哲学 その1

GANTZの哲学 その2


でも現在の自分の状況に少しでも照らし合わせ、
館詰め合宿修行だと思って何かを突き詰めるのも良いよね。
そんなことまでで考えてしまった・・・。

タイムマシーンの哲学についてはこちら



ネコじる、タイムスリップ

 

















 


おじろく、おばさ的怖さの恐怖

ていうか最近よく思うんだけど、
成功したバンドの影の薄いメンバーって、
なんでその知名度というかネームバリュー、立場を利用して
自分の意見とか作品とかを発表しないんだろうね。
例えばミスチルの桜井以外のメンバーとかバクチクの桜井以外のメンバーとか、
スピッツの正宗以外のメンバーとかさ。

ブログやツイッターで「原発断固反対!」とか言ったりさ、
或いはただの日常とかでもいいんだけど、
何かやれば素人と比べて最低限の人は集まるだろうし、
人が集まればそこにお金も発生するだろう。
業界との繋がりみたいなものもあるわけだからいろんな話も来るだろうし。
何でなんにも発信しないのだろうか。
日々、何も思うこと無いのかな?

勿論、もう今以上にリソースを必要としておらず、十分満足しているから・・・、
という理由だろうし、それなら少しは理解できるけど、
それならそれでそういう話が来た時に断れば良いわけで。
 
まったく何かを発信しない人の気持ちが未だにイマイチわからんとです。

それはその人のミームに対する熱の薄さとも言えるのかもしれない。


こういうことを考える時、いつも僕は「おじろく、おばさ」の話を思い出す。

田舎の狂気というか、なんていうか・・・。最も狡猾な洗脳とでも言おうか・・・。
八つ墓村とかそういう横溝正史的怖さがあって、
個人的にこのテの話はこの世で一番恐ろしく、かつ、理解できず、かつ、嫌な話だと思うけど、
その反面、程度の大小あれどこういう感覚は多かれ少なかれ多くの人が持っているようにには見え、そして僕には殆ど無い感覚だと思う。僕はそういう田舎土人達から距離をおき、だれよりも自身の考えで自身の自由を求めて生きてきたような所があるから尚更だ。
おじろくおばさ、或いは世の中の多くの人は、ある程度の歳になると考える事を放棄しているというか、逆に言ったらは考えすぎるというか・・・。
ただ、考える事を放棄する事が出来るのなら、それが一番楽だろうなぁとも思う。
が、には到底出来ない。

そりゃそうと最近は「田舎土人」という言葉が非常に気に入っている。
今まで、僕がずっと言い表したかった人物像をたった一言で表現していてこれは便利な言葉だと思った。
ちなみに、この「田舎土人」という言葉の反対語、対義語が、「文明人」という言葉であるらしい。
「文明人」は最低でもスマートフォンでツイッターとかやってるような、都会の人というイメージか。

こういう人達の事を、僕は今まで「地方の原住民」とか「土着の民」と定義していて、
その対義語として「国際人」とか「コスモポリタン」と定義していた。
そして自分は文明人であり国際人でありコスモポリタンであろうと…。

「DQN」という言葉にしてもそうだけど、たった一言でその漠然とした対象を言い表せる言葉は非常に便利だし、便利だからこそあっという間に広まる。そしてそうやって広まって人々の共通認識となれば、更にその言葉は利便性が増し、定着する。
優れたミームであるとも言えよう。

 
まあ、いずれにせよ・・・、何事においても、
ちったぁ考えろよ!!

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人生は神ゲーだ!!コピペ

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今日は人生そのものに関する面白いコピペを見つけたので以下に紹介しようと思う。


人生は神ゲーだ。
本気でがんばるとぎりぎり倒せるように絶妙のバランス調節がされた敵。
単純作業じゃ効率が悪いけど工夫次第でどんどん効率を上げられる経験値システム。
リセット不可の緊張感。
でもシレンとかよりずっと死ににくいからあんま気にする必要なし。
つーか普通のゲームでもリセットなんて邪道じゃん。
全てのキャラが深い人間性と歴史を持って登場する、圧倒的リアリティ。
グラフィックが綺麗すぎ。多分、無限×無限ピクセルで、毎秒無限フレームで動いてる。
色も多分無限色使える。夕焼けとかマジありえねー美しさ。
BGMの種類がほぼ無限。選曲も自由。自分で作った曲を流すこともできる。
人間が作ったとは思えない、とんでもなく複雑で洗練されたシナリオ。
リアル出産システム採用。
自分と、自分よりも大切に思える相手の遺伝子を半分ずつ受け継いだ、奇跡のようなキャラを生み出して、そいつに自由に色々教えて育てることができる。
すごく嬉しいし、ちょー楽しい。
ネコっつー生き物が登場するんだけど、これがちょーかわいい。
食いきれねーほどの種類の料理があって、超うまいものが時々食える。
説明書が無く、仕様が明かされてないから、自分でデータとって仕様を推測するしかない。これがまたとんでもなく高度に洗練された仕様になってるっぽくて、なかなか正確には分からん。
だから、とりあえず大雑把に推定し、それに基づいて行動して、データを取りつつ徐々に予測値を修正していく必要がある。これがまた楽しい。
徐々に明らかになっていく世界観。
未だに明らかになってない謎が山盛り。
友達と一緒に協力して遊べる。
無料。
本気で自分を愛してくれるキャラがいたりする。
ゲーム内で別なゲームやったりアニメ見たり出来る。
登場キャラと本当に心を通わせることが出来る。
信じがたいほど深い感動を味わえるイベントが結構ある。
もちろん本気でやらないとフラグを無駄にするだけだが。
こんなとてつもない神ゲーを糞ゲーとか言ってる奴は本気でこのゲームをやったことがない奴だけ。
まあ、一切がんばらずにクリアできるようなヌルゲーばかりやってる奴には、このゲームはちょいとハードかもしれんがな。
でも一端ハマった奴はみんな、このゲームを辞めたくないって言ってるぜ!
 
このゲームを楽しまない手はないと思ってます。 


いとしさと切なさと労働時間と効率と

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仕事や作品作りなど、何かクリエイティブな作業をする人にとっての課題みたいに付きまとう謎。


以下のサイトになかなか面白いまとめが載っていたのでそれを紹介しつつ・・・。

 

僕の場合は主に文章を書くこと自体がこの上記で言うところのプログラムの時間という事になるのでしょうか。

昔、坂本龍一はこんな事を言っていた。

「“その気になれば”1曲書くのに要する時間はたったの1日。
でも、だからといって、じゃあ30日あれば30曲できるか?と言ったら、そういうものではない。」

うん。
凄く分かるなぁ。
これは実際にそういう立場に立った人でないと、なかなかこの感覚は分からないのではなかろうか。

以下に紹介する文章も逸品。

作者不明。↓


昔のとある作家の話だったかと思いますが、
「作品を頭の中で組み立てている間、瞑想や散歩していると女房が"何怠けてるの!"と怒る。組み立てが終わって、後は文章に書き写すだけの単純作業になるとニコニコしてお茶を持ってきてくれたりする。
まったく、私の仕事というものをわかっていない」
というようなことを言っていたそうです。


分からない人には分からないんですよ。


後、少し話がずれるかもしれないけど、
元々のスタートラインが公平でない場合の努力と言うのは如何にむなしい事か?
ということを表した以下の文章もここに記しておこう。

大正時代に学校のない山奥で、小学校卒の数学好きの青年が、
20年かけて、ある「スゴい法則」を発見したそうです。
けれど、中身を見てみると、
それは私達が中学校で習う「連立方程式」だったそうです


僕はずっと、こういう状態に陥りたくない・・・と言うか、
そうならないように気をつけてきているし、それに気を使っているところもある。
また、時々そういった状況に陥っている人(例えば発展途上国の人や、田舎の人の努力)を見ると、無性に歯がゆいような気持ちになるのです。


それから、この記事、テーマの続きはこちら
「ジョン・ヘンリーになるな!」

 

ハイパーメディアクリエイターについて

高城剛












今でこそ沢尻エリカの奇妙な旦那ということで妙な脚光を浴びている高城剛氏だが、
僕はずっとずっと以前からこの男の事は気になっていた。

僕がまだ専門学校に行っていた時代、つまり18の頃、
CGや放送関係の学科だった為か、クラスメイトはオタクで年上の人達が殆どだったのだが、彼らはその当時からこの高城剛を神のように尊敬していた。

まだクリエイターだのマルチメディアだのそんな物の微塵も理解していなかった当時の僕は、この高城剛という男がなぜそこまで凄いのか?ということが当然理解できなかったが、彼は丁度この学校の特別講師にもなっていたし、とにかく他のクラスメイト達があれほどまでに敬っているのだから、さぞかし凄い人なのだろう…と、僕は注目だけはしつづけていた。

その後坂本龍一などとも対談したり、よくコラボレートの様なこともしていたので、
とにかくなんだか分からないけどきっと凄い人なんだろう…と、やはり思い続けてきた。

何が言いたいのかというと、
世間一般ではあまり知られてこなかった人かもしれないが、
メディアというもの自体に興味があり、かつ、そういう活動をしてきたような人にとっては、十数年前から神のように扱われていた人だということ。
そしてやっぱりそうは言っても、結局何をやっている人なのか未だに良く分からないということだ。

僕は彼のそんなところが、妙に鼻につくというか、
あまり好きな人ではなかったが、
最近の彼(沢尻エリカと結婚する数年前くらいから)の人生哲学には少し共感を持って注目していた。

これは僕自身の今後の人生の指針でもある言葉なので、
以下に紹介しておこうと思う。

高城氏はバルセロナを拠点にロンドン、ニューヨーク、パリ、ブリュッセル、ジュネーブと
世界各都市を縦横無尽に飛び回る多忙な日々。
自身のブログで、今後の生き方を次のように決めたと記している。

「家を持つ、そこに溢れんばかりのモノを持つということが、 
アメリカが作った二十世紀の幻想だった、と何年も前に仮定した」
「モノを所有しないで、もちろんそれを収納する家ももたないで、 
時代らしくデジタル化できるものは、どんどんデジタル化して、 
世界中を高速で回りながら、当分の間は見識や見聞を広める。 
そして、しばらく衛星のように生きると決める」

高城氏に言わせれば、かつて幸福の象徴とされていた
「頑張って仕事をして家を買って、家族とそこで仲良く暮らして......」
というプランは、もはや前時代的。


僕もそうありたいと思うし、
実際、数年後からそういう生活をするべく、その計画を、今の内から既に立てているのです。

さようなら。さようなら。



タイムトラベルが不可能な理由をたった一枚の画像で説明

香港の物理学者達が、タイムトラベルが不可能である事を理論的に証明したとのことだが、 そんなの以下の画像を見れば一発で分かるジャマイカ。

タイムトラベルが不可能な理由







哲学とは何か? 死の哲学

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その話をする前に、
まずは「論理学とは何か?」についての名コピーを以下に紹介する。


ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」

深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」


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さて、主題の「哲学とは何か?」についてだが、
これもネット上で拾った言葉を紹介しながら説明したいと思う。


哲学とは考える事。
私達は考えることができる。
考えてるのは脳。
脳はシナプスやらニューロンやらの集まり。
シナプスやらニューロンは細胞。
細胞は核やらミトコンドリアやらの集まり。
その核やらミトコンドリアやらはタンパク質、脂質。
タンパク質、脂質は分子の集まり。
分子は原子の集まり。
原子は陽子と電子と中性子の集まり。
陽子、中性子は素粒子の集まり。

考えるって何が考えてるの?

アナログ時計だって人間に時間という高度な概念を伝える機能を持ってるけど、
材料の歯車とか振動子にはそんな機能ないし、
もっと分解すれば原子や分子だ。


全ての本が入っている目録のなかに、その目録そのものは含まれるのだろうか?

誰もいない森で倒れる木は音をたてるだろうか?
誰も見てない時は月は存在しないのか?
僕はブラジルに行ったことは無いが、本当にブラジルという国は存在するのだろうか?
僕は今、パソコンの画面を見ているが、僕が見ていない僕の後ろ側は本当に存在しているのだろうか?
僕が後ろを振り向いた時に、初めてそのとき「僕の後ろ側だった、今正面の景色」が作られる、若しくは発生するのではなかろうか?


そもそも人が生きていく意味なんてあるのだろうか?
この世の中の意味は?
もしあるとすれば、それは何者にとっての意味なのだろうね?

基本的に答えは無い。

ただ、大切な事は自我の存在を認め、
その自我をどの視点に置くかという事なのだろう。

ああそうか・・・。
つまりこの世は「答えの無いなぞなぞ」の様なものだということなのだろう。
しいて言うならπ(パイ)である。

いつかは絶対に死ぬのに生まれてくる矛盾。不条理。
それがそもそもこの世の中の定義だ。


何故、死が怖いか?
これだけ人類が進歩しても誰一人として死後にどうなるのかは分からない。

だが良く考えて欲しい。
生まれた瞬間を覚えているか? 
生まれる前の記憶はあるか?

私達はすでに死後と同じものを経験しているのだ。


どやっ!

クラウドコンピューティングについて

このブログではこれまでも、ちょくちょくと、
ユビキタス」だの「マルチメディア」なんかの話もしてきたけれど、
(また、今後は複雑系ネットワーク理論のことやインターネットミームに関することなどについても言及していきたいと思っているのだけれど・・。)
元々僕はそういうメディアに関する学校に行って勉強していた人間でもあるので、
そういう方向の事は分からないなりにも結構好きだったりしまして、
で、最近はtwitterで知らされた告知によってUSTREAMのライブなんかを見ていると、
ああ、なるほど、「クラウドコンピューティング」なる物がなんとなく分かってきた様な気がするのです。

そもそも、ユーザーはそれをそうと意識しなくても自然と使いこなしていると言う事自体がクラウドコンピューティングの基本概念なのだから、なるほどこれはうまくいっているのかもしれないね。
知らぬ間にクラウドを使っていた・・と言うのが元々のコンセプト、理想だろう。


パソコンやインターネットというもの自体が、
やる人とやらない人の差がどんどん大きくなっているのだろうけれど、
これはやらない人がどんどん縁遠くなってやらなくなっている・・と言うよりも、
やる人がどんどん高度なネットワーク形態を享受していっているように思う。
そういう「情報格差」は今後ますます進み、また、人それぞれの探求するジャンルが細分化し、人はきわめて狭いセグメントの中で生きていくことになるのではないかと思う。
そして情報格差がそのまま貧富の差にもつながり、この日本でも、どんどん格差社会というものになっていくのだろうと思う。
けれども、僕はそれで良いと思う。
むしろ格差が無い世の中というのは、行き着く先は共産主義や社会主義であり、
努力した人間がその努力した分だけの見返りを得るべきだと思うし、
例えば情報を摂取せずに、惰眠をむさぼっていた人間はその報いを受けるべきだと思う。
そうでなければ国力も弱まるし、また、本当の平等とはそういうものだと思う。
何も掴みに行こうとしなかった人間もそれなりの恩恵を得られるのであれば、
それこそ不公平というものである。
一生懸命努力して、そして注意深く注意してきた人間が、
虐げられていたり恩恵を得られないような世の中ではいけないと思う。
つまり、正直者が馬鹿を見ると言う様な世の中にしてはいけない。

これから地デジになるとの事で、今後はどうなのか分からないが、
例えばこれまでのNHKの受信料の問題のように、「正直に払っていた者負け」みたいな世の中だとしたら、それはそもそもシステムからしては非常に良ろしくないだろうと思う。

何でもやればいいってもんでもないけどね・・・。

       r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l  
    |ヽ   ~~⌒γ ⌒ ) r'⌒ `!´ `⌒) よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが
   │ ヽー―'^ー-'  ( ⌒γ ⌒~~ / 「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' | 大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |  王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は
   |  irー-、 ー ,} |    /     i 作れないぞ!
   | /   `X´ ヽ    /   入  |

 
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管理人が覚えた言葉 193  「メメント・モリ」

メメント・モリ(Memento mori)

ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。
日本語では「死を記憶せよ」と訳されることが多い。 
芸術作品のモチーフとして広く使われ、
「自分が死すべきものである」
ということを人々に思い起こさせるために使われた。

また「時計」は、現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの、
と考えられていた。

の意



ゼロ

ゼロを発見した人は偉大だ。
それを発見したのは名も無いインド人だったそうで・・。

そこまでは、多くの人の周知の通りだが・・、

しかし、ゼロにいくらかけてもゼロはゼロである。


・・・・。


でももし、このゼロが、例え1でも増える事があったとしたら・・・。

それはつまり「宇宙」が誕生したと言う事になる。
お分かりか?

もしその様な方法を考え出し、実際にゼロから物事を生じさせた人は、
これは宇宙を誕生させたに等しい事であり、
少なくともそれくらいの偉業であり、
ゼロを発見した人と同じくらい凄いと思う。

陰陽説を持ち出すまでも無く、
そしてデジタル信号の話を持ち出すまでも無く・・・。


それは一つの宇宙の誕生である。

お分かりか?

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運とべき乗とゼロ 大げさに言えば宇宙と数学

ウィキペディアによれば、
「運」とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指し、実力と運の乗数が、成功だという。
とある。
であれば、もし、人には誰しも「生まれつき変えられない宿命」と言う物があり、
その宿命が「運がまったくない、不運、不遇」というものであった場合、
その人の人生はどんなに実力があり、かつ、努力をしたとしても、
いわゆる「成功」には手が届かないと言う事になる。

もし運というものを数値化出来るとして、
その運の数値が0だったとしたら?

実力×運(0)=0

そんな絶望的な事を考えていた事が僕にはある。

また、確かに、
この世の中の物事は全て「べき乗」で進んでいるのだとも思う。

べき乗は不思議である

例えば、売り上げの平均が100万円の、あるお店で、
地方の新聞に100万円かけて広告を出したとする。
その結果、売り上げが10倍1000万円出たとする。
それじゃぁってことで今度は全国紙に1000万円かけて広告をうった場合、
実際に見込まれる売り上げはその10倍1億円かと言えば、
そうではないと言う事。

その時はもう、10億とか100億とかそういう世界になってくるわけだよね。

しかし0にいくらカケても0は0なんだ。

例えば知能指数のようなものも実は”べき乗”で増えている物なのだそうで、
知能指数が100の人と知能指数が105の人の5ポイントの差と、
知能指数が130の人と知能指数が135の人の5ポイントの差は同じではないらしい。
後者の方が相対的にずうっと大きな差になるのだそうだ。

でも0にいくら欠けても0は0だよね。

俺、疲れ気味か・・?

ガタリメール

ガタリ

ここで君にある男の話をしよう…


暗闇の中を何時間もさまよい歩く男がいた。
さんざん迷った挙げ句、
彼はようやくひとつの道標を見つけ、
そばに駆け寄った。
すると道標は男に問いかけた。
自分は見ての通りの道標だが、
では一体何を指し示しているのかと。
男はしばらく考えた後、運命と答えた。
それを聞いた道標は何も言わずに
姿を消した。

やがて男の歩く道は険しい坂となり、
男は息を切らしながら登った。

しばらくすると、なぜか道がなくなり、
両足がむなしく宙を蹴っている。
宙に浮き、逆さまになった男の目に
映ったもの、それは遥か眼下に見える
一本の白い道だった。

その道を自分とうりふたつの男が
とぼとぼと背を丸めて歩いている。
白い道は男の歩くすぐ先で
断崖に切り落とされている。
しかし眼下の男は歩き続け、
ついに最後の一歩を踏み出してしまった。
暗黒に吸い込まれる男の姿を追うことなど
もはやできない。

さて、君なら道標の問いかけに
なんと答えるかね?…どうだね?

聞こえない、聞こえないな。
怯えた声でささやいても、
私には何も聞こえない。

通訊完畢

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マグネ気

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クーロンズゲートの中でマグネ気なる言葉が出てくる。

マグネ気と言う言葉を「磁場」と解釈したとして、そんなものが本当にどれだけあって、どれくらい人々の生活に影響しているのか?そんな事は分からないけれど、考えてみれば我々は皆地球と言う巨大な磁石の上で生活していると言うのは科学的な見地から行っても事実だよね。

九星気学の様な方位学を実践する占いだけはあなどってはいけないって霊能者の様な人が言うのもやっぱりそれなりの意味があるのだろう。
美輪様も本の中で何度もそのことについて言及している。

人は日々知らぬ間に磁場の影響を受けて生きている事は確かな事実なんだけど、果たしてそれが日々の生活の中の運負天附とどう関係しているのかって言う所が問題なんだよな・・・。

それに太陽風による磁気嵐は一定の間隔で、その影響をも方位学には記されているのだろうか?
これに関しては調べてみた所、意外にもある程度科学的に予想のつくものらしい。

最近はそんな事を考えてる。

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妄想が宙を舞っている

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ネタに困ったらクーロンズゲートのガイドブック、
というのがこのブログのお決まりのパターンの様になってしまっているが、まぁ、今回もクーロンネタ。
でもクーロンズゲートを知らない人でも唸ってしまう様な言葉だと思う。
この本は10年も前に刊行されたものだけど、
今日のネット事情を予見、言い表しているかのようだ。

10年前と言えば僕が専門学校に通っていた時代。
「これからはインターネットと言う物が普及していくだろう」
っと、未来系で語られていた時代である。
(一部普及はしていましたが、一般的ではなかった。)

以下、公式ガイドブック抜粋。


妄想が宙を舞っている
多くの人が発信者とならなければならないような
強迫観念に追い詰められる状況によって、取るに足らない妄想までも、
無理矢理搾り出すようにネットワークに乗せる。

また、何かを喋っていなければ落ち着かないような人が、
会話の流れの本質を無視したまま、言葉だけを単に数珠繋ぎに放出する。

妄想が宙を舞うという状況は、実に今日的な状況とは言えないだろうか?

そうして流出した妄想と言葉は、
無防備な意識を侵食する。

押し寄せる妄想と言葉は、邪気と同等の危険性を孕む       


2011-12-6更新
3.11の東北自身のとき、聴覚障害者の人がtwitterのタイムラインを見ていて、
生まれて初めて「うるさい!」と言う感覚がわかったそうだ。


また、そんな状況にある時、人はどのように考え、行動したら良いのか?
次の様な言葉も見つけた。


一貫性の無さこそ、心の迷い、隙となる。
自分の嗜好や、思考の求める方向性を見つめた事の無い者、
状況に踊り、周囲に動かされる物、迷いすら感じずに迷う者。

隙だらけの心。

一貫性を持つ者は、その方向性に対する好き嫌いで対応できる。
だが、一貫性を持たない者は、好き嫌いを判ずることすらできない。

 

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指揮者の役割

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今更かも知れないけれど、指揮者と言うのは、ただリズムに合わせて指揮棒を振っているだけの人、と言うわけではない。
いや、むしろ最も重要な役割を果たしている人なのである。

指揮者と映画監督、その他監督業はその役割が似ている。

映画監督は、まず脚本とか原作があって、それをどう解釈するか?という事から始まる。同じストーリーを読んでも、人によって解釈に違いが出る。極端に言えば、その同じ脚本を読んでも、「悲しい話だ」と感じる人もいれば、「希望に満ちた話だ」と感じる人もいる。皆がそれぞれの解釈の仕方で演じたり動いたりするとナカナカうまく行かない。完成した作品も何が言いたいのか分からない物になりかねない。そこで監督が、「この作品は悲しい話なのだ!」と決め、皆はその感性に従い動く。そしてその自分が決めたセンスから外にはみ出さないように皆を統制する。
だから例えば映画監督なら、ただ椅子に座って「アクション!」「カット!」と言っているだけの、誰でも出来る仕事、というわけではないのだ。全体の方向性を決める絶対的なセンスと影響力を持ち合わせていなければならない。

クラシック音楽の指揮者も、既にある楽譜(曲)をどう解釈し他の人にも分からせるのかと言う点において、映画監督と殆ど同じ大切な役割を果たしていると言える。


けれども、やっぱりやっていることはリズムに合わせて指揮棒を振っているだけじゃないか!?っと思う人も居るかもしれない。
そんな人には次の言葉をもって説明したい。
名指揮者カラヤンは、指揮者の役割について、次の様に答えている。

「あなた方は真っすぐな道を車で運転する時に、ハンドルにはまったく手を触れないで運転しますか?そうではないでしょう?微妙にハンドルを操作して車の位置を維持するでしょう? 私がしていることは大体そういうことなのです。」

 

 

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「願い」という物に関して

願いという物に関して
クーロンズゲートの公式ガイドブックに
おもわずうなってしまった名文が載っていたので、ここに抜粋。
 
 
 
<すぐに叶う願いなら>
 
すぐに叶う願いなら邪気が寄り付く暇もありません。
邪気を呼ぶのは叶わぬ願い。
願っても願っても叶わぬ思いは、いつしか理不尽な憤りを生み出す。
「どうしてこれだけ願っているのに叶わぬのだ?」
そこに論理性は不要である。
願いの量と比例した憤りが生まれるだけだ。
その理不尽な不愉快さは、目の前を赤く揺らし、
憤る心が論理的な思考を停止させる。
 

クーロンズゲート公式ガイドブックより
 
 
 
そう思う。

一見、詩の様でもあり、それでいて見事に本質を浮き彫りにしている。
名文だと思う。
 
とは言え、そんなことを言われても何の解決にもならないが・・。

見立てを立てる大切さ

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「見立てを立てる」とは、
コレをソレにしますと決めること
コレはコウであると決定すること
多くの人々が認識を共有することにより、
ソレは決定された通りの存在となる。
 
例えば、「ハンカチ」は「ハンカチ」と認識された時点で
「ハンカチ」という存在になる。
これが「雑巾」と認識された場合は「雑巾」として扱われるようになる。
 
ここまでは当たり前の話。
 
けれども見立てというのは物理的な物に対してのみ行われるわけではない。
占術の世界では「運勢が立ち上がる」という言葉があるらしい。
これは、「そうなる」と占われる事によって、
始めてその人の人生が立ち上がり、本当に「そうなる」という考え。
つまり一度も占術家に占ってもらった事が無い人は、
そもそも良い運勢も悪い運勢も存在しないという事になる。
見立てが成されていないのだ。
 
物理的な事柄から遠ざかれば遠ざかる程、(宗教的な取り決めなど)
その見立ての「認識の為の演出」として
儀式の規模や複雑さは極まり、
意図的にそうすることによって現実味を増加させる。
 
そういうのはどうかと思うけども、
とにかく見立てを立てる、もしくは立てられるというのは
大事な事だけに、注意していかなければならないと思うのです。
 
こういった事は姓名判断とかにも言える事なのだと思うのですよ。
 
例えば、ここに一枚の布があるとする。
この布の材質が先天的な能力。
つまりポテンシャルと言われるもの。
綿なのか絹なのかポリエステルなのか?
この布を半分に切って2枚にする。
片方を「ハンカチ」と名付ける。(見立てる)
もう片方を「雑巾」と名付ける。(見立てる)
同じ布でも、その後の扱われ方はおのずと差が出る。
 
人も、その人のポテンシャルに見合った「正しい見立て(名前)」が
なされなければいけないんじゃないだろうか?
 
 
「見立てを立てる」とは、
占術用語である。  ?

自己顕示欲 虚栄心 について

ブログを始めるに当たって、避けては通れない「自己顕示欲」について書こうと思う。
 
そうなのである。
この世の中に個人の自己顕示欲がまったく無い文章など無いのかもしれないね。
あるとすればそれは無機質な広告の様な物なのだろう。
自己顕示欲とか、自意識過剰な物を見ると、見てるこっちが恥ずかしくなる、っと今まで思っていたし、なるべくそういった状態におちいらないようにと気を付けてきた様な所があったが、それじゃ何も始まらないというのも事実。
web上に日記の様な物を公開するブログって言う物を立ち上げた時点で自己顕示欲、自意識って言うのは絶対について廻る。
突き詰めて考えれば・・・。
 
けれどもそれがブログって言う物だし、
ブログという物の性質上、否、インターネットという物の性質上、
避けては通れない感覚で、そもそも、それが良いんじゃないか!
っていう風に考えることもできる。
少なくとも1アーティストとしてポジティブに考えるなら、
そうあるべきだし、そういう人を応援したいとも思う。
 
たとえアーティストでなくても、そういったいろんな人の自意識が垣間見れるからこそ、ブログって面白いんだ。
 
ブログを立ち上げたことに関して、ずっとその辺の事が正直、引っかかっていた。
記事を書いている自分と、
「誰に対して何の為に書いてるんだ?」
「誰に言ってんだ?誰に!?」
という疑問をぶつけてくる自分との戦いがあった。
 
まぁ、その辺は何も考えないで書くのが一番だ。
ブログ精神衛生上。w
 
一人称問題にしろ、今回の疑問にしろ、
その辺の所でまだウダウダ言ってるようじゃ、
表現者としてはまだまだ未熟なのだなぁと我ながら思った。
とっくに克服していなければならない問題なのだろう。と。
利根川語録、自分は特別



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一人称って難しい

たった10年前まで、口語を文章にするという事は、
少なくとも一般人にはあまり無い事だった。
けれども現在、HP、ブログ、メール、そういった媒体が普及して、
誰でも当然のごとく口語を活字にして使用している。
そこで一つの問題が出てくる。
いや、大げさに言えば、自分と第三者の間に奇妙な空間が生まれる。
 
「僕」って誰だよ!?
 
っていう・・。
 
公の文章にはあまり一人称という物が出てこないからね・・。

 
管理人を知っている人なら分かる事なのだが、
僕は普段自分の事を「俺」という。
それが僕の本当の一人称。
「本当」というのは、頭の中で物を考える時の一人称が、完全に「俺」なのである。
それも今に始まったことじゃない。物心付いた時からずっとそうだった。
一人称を何にするのかという事で、その文章、ブログの特色がある程度決定付けられる。だから凄く難しいし、慎重にならざるをえない。
 
また、その文章の作者がどういった一人称を使うかによって、
その作者の狙いもある程度判ってくる。
「狙い」といえばなんだかカッコイイが、
実の所、それは作者の「どう見られたいか?」
という自己顕示欲とも関係しているのだと思う。
 
このブログでは今の所「僕」という一人称を使っているが、
そもそも書く内容を統一していない時点でどうしても無理が生じ、
毎回毎回記事を更新する際、一人称問題が僕の中で渦を巻き悩ませている。
 
良くないね。ブログ精神衛生上。
もっとサラサラ書けなくちゃ・・。
 
一人称問題の他にも「語尾問題」というものとも戦っていかなければならず、まだ始めたばかりのこのブログ、正直言って
もう「マンドクセ〜(;´Д`)」って思ってる。w
 

 
この問題を調べてみて一番驚いたのは、
世の中には「俺」という一人称に嫌悪感を抱く人が居ると言う事。
そういう人は自分の事を頭の中でも「僕」と認識しているのだろうか?
男は皆自分の事を「俺」と認識している物だとばかり思っていた。
でも考えてみれば「僕」という人もそりゃ居るよね・・。
 
人は、それぞれ自分の事を「僕」と思っているか「俺」と思っているか、
微妙な所だと「わたし」と思っているか「あたし」と思っているかによって、
考え方や、その人の持つ雰囲気、ひいては人生までもが違ってくるんじゃないかと思う。
いずれにせよ「僕」君と「俺」様の間には大きな壁がありそうだ。
 
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