2011-6月頃、熱帯魚 (5)

今、ずっと飼ってきたアルビノオスカーが瀕死の重体。
上の写真は在りし日の姿で、現在はお腹を上に向けてプカプカ浮かんでいる。
一両日中には★に召されるだろう。

6年くらい飼ってきた魚だけど、この魚の寿命は30年くらいだと聞いているので寿命ではない。
おそらくエロモナス病にかかったものと思われるが、
エロモナス病にかからない様に随分と気を付けてきたつもりだ。
経験から、エロモナス病は水温が下がりすぎると発生することが多く、
水温の低下には随分と気を付けてきたし、水替えも適度に怠らなかった。
それでもエロモナスに感染してしまうのではもうどうしようもないと思った。
最終的にはエロモナスもカラムナリスも、その他尾腐れ病も全て合併症として発現し、
こちらもグリーンFやエルバージュも適時投入して対応したが駄目だった。
そして水温を35度にまで調節できるサーモスタット付きのヒーターも購入し、一時は容態が良くなったのだが…、やはり駄目だった。

様子がおかしくなったのは2か月半くらい前からで、
食欲旺盛な事で知られるオスカーが全くエサを食べなくなってしまったので、
これはかなりヤバイ状態だなと色々な事を試してきたが結局回復には至らなかった。
こうなったらもうどうにもならない…という歯がゆさを感じて悲しかった。。

現在はもう、万策尽きたといった感じであとは死を待つだけ。
だのに元々体力がある魚の為か、このお腹を上に向けて浮かんでいる様な状態で二日も生きている。

そこで僕は思ったのですが、
このオスカーはもう、どうあっても助かることは無いのに、
今生きている必要ってあるんだろうか?と。
ほぼ100%、一両日中には死んでしまうのに、
そしてもう打つ手もなく、ただあとは完全に死ぬまで、ただただ苦しいだけで、
この3日間くらいのコイツの魚生に何の意味があるのだろうか?と。

もう絶対に助からないという状態になった時点で、
それ以降の、苦しみしかない生命に何の意味があるのだろう。

そもそも「動物を飼う」という行為自体が人間のエゴだ。
それなら最後までそのエゴを押し通した方がそのペットにとっても生きてきた意味があるってものではないだろうか?
つまり、人間がエゴで飼いはじめたのに、
その生き物が死んだら悲しい…という思考パターンは元々おかしいのではなかろうか?

いや、悲しいのは当たり前だ。
エゴで飼い始めたのだとしてもそこに情が入ってしまうのもまた人間の所業。
だから悲しいのは仕方がないけど、あまりペットロスで人間が影響されてしまうのは良くないのだろうなと。
人間がエゴでペットから元気を貰う為に飼っているのであって、
ネガティブな部分は受け取らない…というくらいエゴイスティックに飼うべきなのかなと。
それが出来ず、「死」などに影響されてしまうのであれば、元々飼わない方がよいのだろう。


メメント・モリ

あともう少しで「苦労のない 穴に さようなら」 だ。



メメント・モリ
藤原 新也
三五館
2008-10-21